今回は普段熊本の個人サロンにて占いをしている、セイレイがスピリチュアルについての自分なりの解釈について記します^^
これが正解ということではなく、私の世界のなかでの道のなかでの1つの想いです。
心と体を癒し、カウンセリングで豊かにするが理念です。管理栄養士の傍ら占い個人サロンを経営。
土曜日8:00にblogを更新しています。
熊本下通シャワー通り、完全予約制タロット占いサロンと、管理栄養士でをしております。
こころとからだの健康のお手伝いをしています。Seirei health &SPI(セイレイヘルスピ)のセイレイと申します^^
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魂や精神の話において、理解できる範囲内の話と言うものは、人それぞれ違うように感じます。
魂の成長の段階と言っていいのかもしれないけど、成長がゆるやかだからと言って、段階が低いとか高いとかそういうことではないし、
低いから悪いとかって言うことではないのです。
日々の様々な事柄のへの捉え方の中に、多様性があるかどうかということが、理解が進んだ段階だと言えるのかもしれない。
捉え方の多様性が増したときには、それなりの世界が待っているし、スピリチュアルと云うことに関して、いわゆる理解というものは、
その時点では、深まっているというのだと思います。これが次元の多様性なのかなと感じています。
でも、それが深まっているから良いというわけではないし、深まっているからこそ、おごりや、優越感、正義感から、捉え方の固定概念が固まることもあるから、
深く理解していることが正しいとは限らないし、正解とも限らない。
ただ、そこに捉え方の理解が深まったということがあるだけ。
理解が深まれば、それだけ、「気づく」ということも深まる。
気づいた人は次元が高くなって、移行できるとか、築かない人は、次元が低くて取り残されるなどという方もいるけど、そういうことではないのではないのかな。人それぞれ、個々の世界があるし、取り残されているとおもっている人の方が、ある面では気づいていない部分もあるかもしれない。